今回のテーマは英語学習ですが、Mayaの英語学習法とダンスの経験が重要な要素。
今回は私がダンサーとしてアメリカでキャリアを積むことになった経緯と、L.Aのダンスエンタメ業界に関する裏話しなどのおはなし。
「型破りな英語学習法とダンスキャリア」
23歳で弾丸アメリカダンス留学を決意したMaya。プロダンサーとして日本である程度キャリアも積んで軌道に乗っていたのにも関わらず、なぜ全てを蹴ってまでアメリカ行きを決意したのか?
ロサンゼルスは、常に新しいトレンドやクリエイティブなアイデアが生まれる場所。
ここでの日々は挑戦の連続。ただその分だけ得られる充実感も大きい。
ダンサーとしての成長と共に、人としても成長できるこの場所での経験は、私のキャリアにとってとても重要なもの。
Mayaは日本でダンスに情熱を注ぎ続け、ついにアメリカ、特にロサンゼルスでキャリアを積むチャンスを掴みました。
L.Aはダンスとエンターテインメントの中心地。
L.Aのダンスエンターテインメント業界は、多様なスタイルと文化が交錯する場所。
オーディションの緊張感や現場でのエネルギー、世界中から集まる才能あるアーティストたちとの交流は、かけがえのない経験。
この環境で、スキルだけでなく、パフォーマンスに魂を込めることの大切さを学びました。
ブログのタイトルが「型破り」となっている理由は、通常の英語学習法とは異なるアプローチである程度のレベルまで英語を習得したから(まだまだ勉強中ですが)。
これが今回のブログのポイントである語学学習の「何か」に繋がります。
気になる方は前編をチェック↓
-ダンスと英語漬けの夢の1年
ダンスと英語に夢中であっという間に1年が過ぎ、資金も底をついてきたので、日本に帰国準備を始めていた頃、知り合いの振付師ショウタイム(Sho-Tyme)から「クローズオーディション」があると聞き、帰国前の記念に受けてみようと決意。
※クローズオーディションとは、あらかじめ選ばれた人だけが参加できる非公開のオーディションのこと
-驚きのオーディション
会場に到着すると、私を含めて6人、しかも全員日本人。
「え???」
さらに、このオーディションが何のためのものかも知らされていなかったのです・・
なんと6人中4人が合格。私はその一人でした。オーディション合格後、ショウタイムから呼び出され、合格した日本人4人(MAYA、RINO NAKASONE、MAYUKO、JENNY)に初めてオーディションの目的が明らかに。
グエン・ステファニーのソロプロジェクト「原宿ガールズ(Harajuku Girls)」
-ここで一息余談のお話し。
アメリカのダンスエンタメ業界では、プロダンサーとしてキャリアを積む第一歩として、エージェント(事務所)のオーディションを受けるのが一般的。エージェントは、ダンサーの才能を最大限に引き出してくれて、オーディションや仕事のチャンスをくれる。エージェントに所属することで、ダンサーは夢に向かってキャリアを築くための強力なサポートを受けることができる。
ロサンゼルスの主なダンスエージェントは以下の通り:
1. Clear Talent Group (CTG)- ダンサーと振付師専門。
2. MSA (McDonald/Selznick Associates)- エンタメ業界全般で有名。
3.Bloc Agency- ダンサーからモデルまで幅広く対応。
4.Go 2 Talent Agency (GTA) - ダンスとパフォーマンスアート専門。
5. DDO Artists Agency- ダンス、演技、商業、舞台芸術に特化。
と、それぞれ専門分野が違って、ダンサーは自分の得意分野に特化したエージェントをこれらの中から選んでオーディションを受ける。
因みにMaya とリズムはNo.3のブロックに所属。
話は戻って、Mayaはこの一般的なルートとは真逆のルートでキャリアをスタート。
元々アメリカでのキャリアを考えなかったMAYAはオーディションには全く興味がありませんでした。
が、振付師(Sho-Tyme)から直々にから仕事のチャンスを得る。しかも一回限りではなく、その後5年間も続くビックプロジェクト!その後、ビザの必要性が出てきた為にエージェントのサポートが不可欠となる。ある朝Bloc Agencyのブレンドンからの意外な一本の電話でエージェント入りを提案されスカウト・・これがMayaのキャリアの異例のスタート。
私の人生が大きく変わることになる瞬間でした。
ただ、これが始りなだけでダンスエンタメ業界は競争が激しく、アメリカでの成功には多くの挑戦が伴う。
その一方で、ダンサーとして成長し、才能を開花させる機会も豊富。MAYAの場合、予期しない展開から始まったキャリアだったけど、アメリカってそんな場所。何が起こるかわからない。その後は日々の努力とチャンスに恵まれ、様々な現場で踊り、業界の裏表も見て色んな事を経験してきたなぁ。
-原宿ガールズとしての5年間
グエン・ステファニーのソロデビューアルバム『Love. Angel. Music. Baby.』の一環として登場した原宿ガールズは、日本の原宿ファッションや文化にインスパイアされた4人のバックダンサー(Love, Angel, Music, Baby)が重要な役割を果たしました。私はLOVEとして5年間、世界ツアー、テレビ、ラジオ、グラミー賞など数々のアワードで出演しました。
当時、私は「ノー・ダウト」は知っていましたが、グエン・ステファニーというアーティストについては全く知りませんでした。それでも、スケジュールが決まり、まずはイギリスからヨーロッパのプロモーションツアーをまず3ヶ月間回ることが決定。
※プロモーションツアーとは、アルバム収録曲をライブで披露し、ファンやメディアに向けてプロモーション活動を行うツアーのことです。原宿ガールズもツアーに参加し、グエン・ステファニーのパフォーマンスをサポートしました。
-VISAとドイツへの旅
しかし、問題発生。エージェントから、MAYAとMAYUKOは学生ビザ(F-1)しか持っていないため、働くためにはワーキングビザが必要だと言われました。そこで、ドイツでアーティストビザを取得するよう指示。
当時、MAYUKOも私と同じくアメリカ留学1年目で、語学力は日常会話が少しできる程度でした。ドイツでグーグルマップもまだない時期に、どうやって大使館まで行けたのかは全く覚えていませんが、なんとかドイツのアメリカ大使館でアーティストビザ(O-1ビザ)を取得。その足でイギリスへ向かいました。
アメリカでアーティストビザ(O-1)を自力で取得するのは至難の業!!!
アーティストビザとは?
O-1ビザは、「卓越した能力を持つ外国人」に対して発行されるもので、科学、芸術、教育、ビジネス、またはスポーツ分野での実績が必要。
申請の難しさ
O-1ビザ申請はとても複雑、経験豊富な移民弁護士に依頼するのが一般的。弁護士は必要書類の準備やUSCISへの提出手続きなどのサポート役。その弁護士費用は3,000ドルから10,000ドル(約45万〜160万円)とバカ高い!
さらに、サポート資料の準備費用や証明書の取得と翻訳費、具体的には学歴や職歴の証明書、賞や栄誉の証明書の取得および翻訳費、プロモーション資料、推薦状、メディア報道のコピーなどの印刷や整理の費用もかかる。
通常、異国の地でキャリアを積み、成功を収めて初めて申請できるこのビザですが、Mayaは幸運にもこの工程を一気にすっ飛ばしました。なんと、ユニバーサル ミュージック グループのインタースコープ・レコードがO-1ビザ取得の費用をカバーしてくれた。
キャリアもゼロ、お金もゼロの状態からO-1ビザを取得したのは、まさに奇跡。
夢を追い続けるダンサーたち
ロサンゼルスには、世界中から集まる多くのダンサーたちが集まっていて一生懸命に夢を追い続けてる。毎日挑戦し努力している。
だから私のような例もあるんだよ!と声を大にして伝えたい。
少しでもそんなみんなの希望になれたら嬉しいな。
-プロモーションツアーの始まり
無事にイギリスでみんなに合流し、グエン・ステファニーwith原宿ガールズのプロモーションツアーがスタート。一発目はメディアにお披露目。私たちは有名日本食レストラン「NOBU」でついにグエン姉さんと初の顔合わせ。お食事をしました。もちろんコミュニケーションは英語。ヒアリングもあまりままならない状態で事前に状況を把握するのはほぼ不可能。でも意外に気さくな姉さん。セレブ感は全くなく普通に友達と話している感覚。その時に初めて、4人それぞれがLOVE、ANGEL、MUSIC、BABYと命名されました。
その時の写真(ロンドンにて)↓
-新たな挑戦と面白エピソード
これまでのバックダンサーとしてのキャリアとは異なり、私たちはアーティストと同じスケジュールで動くことになる。プロモーションツアーということで、とにかく宣伝、宣伝の毎日。ラジオやテレビのショー、グエン姉さんが行くところすべてに私たちも同行しました。
-原宿ガールズと他のバックダンサーの仕事の大きな違い
通常、バックダンサーはステージ上でアーティストをサポートしますが、原宿ガールズはそれ以上の存在でした。私たちはグエン・ステファニーの世界観やブランドを創り上げる重要なパートナーであって、パフォーマンス、ファッション(L.A.M.B/HARAJUKU LOVERS)
ダンス、ビジュアルアートを通じて彼女のアーティスティックなビジョンを具現化してグエンの独自の総合芸術を表現する上で欠かせない役割を果たすことになって、4人それぞれにファンがつくくらいまでに。
原宿ガールズをモチーフにしたブランドや香水↓
HARAJUKU GIRLS のアニメ↓
衝撃的だったことは、グラミー賞、AMAs、ビルボード&MTVミュージック・アワード、その他、世界で数々の授賞式でのプレスが集まるレッドカーペット。
あれは未だかつて経験したことのないことでかなり衝撃でした!
疲れもMAXで、グエン姉さんがインタビュー中、ガールズは明らかに仮眠中(笑)。
メーク中寝てて、起きたらあの顔が出来上がってた、なんてことも。
-英語実践編へ
この時点で、留学1年目の私は、まだまだヒアリングやスピーキング力が全く追いついていない中での仕事がスタート。Mayaのおかしな英語実践編の一コマ。
授賞式の後は必ず会場でアフターパーティーが開かれます。原宿ガールズも毎回招待されていましたが、正直言うと出席した理由は主に美味しいご飯目当て(笑)。
アフターパーティーには授賞式に参加していたプリンスやマドンナなどなど面々が集まる中、彼らは変わったヘアメークと衣装を身につけている日本人4人に興味ありげに『日本から来たの?』『面白い衣装だね!』など話しかられる。ハリウッド俳優や歌手、メディア越しの彼らとはまた違って、話してみると意外と気さく。でもこちらはアメリカ在住一年の英語力、しかも超超有名アーティストとの会話!
そんな状況下で何気ない会話ほど難しいものはない・・ど緊張。
でも原宿ガールズは日本人であることが売りだった為に、正々堂々と恥じることなく片言の英語で会話ができた。ここぞとばかりにリプレゼンジャパン、日本をアピール!
原宿ガールズを演じることで外国で日本人として活動できたことは、自分を海外で再発見できるとても貴重な経験。
ある授賞式で、アーティストやセレブ達と談笑した後、ついに化粧室へと辿り着く。鏡で自分の顔を見ると、そこには驚愕の光景が。
なーんと、口の周りにチョコレートが大量に!しかも、誰もそのことについて一言も言ってくれなかった・・
まぁここには書き尽くせないほど色々経験しましたが、Mayaはそうやってリアルな現場でコミュ力をぐんぐん付けていきました。
この型破りな経験を通じて、英語学習やキャリアについて学んだことがたくさんあります。これらの経験が、今回のブログのポイントである語学学習の「何か」に繋がります。
次回のブログでも、さらに詳しくお話ししますので、お楽しみに〜!。
HOLLABACK GIRL-GWEN STEFANI WITH 原宿ガールズ
SWEET ESCAPE ft. RINO NAKASONE & MAYA CHINO
第47回グラミー賞 Gwen Stefani "Rich Girl"
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