心で踊るということ──お父さんとの最後の時間が教えてくれたこと
- UNITY
- 5月14日
- 読了時間: 8分
HI!
今日もブログを開いてくれて、ありがとうございます◎
「踊りは心の声を表現するもの」──そう深く実感したのは、2024年。父を見送った、お葬式のときでした
・・
今回の内容は、かなりプライベートなものになります(かなり長文です)
でも、この経験や気持ちは、私がみなさんと分かち合いたい“踊る意味”にも深くつながっていると思ったので──思い切って書いてみることにしました
▽ MAYAのダンス観が大きく変わった瞬間
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人はみんな自分だけのストーリーがありますね
40年以上踊り続けてきたMAYAですが、私の人生は、いつもダンスとともにあります
嬉しいときも、苦しいときも、迷ったときも
そばにあったのはいつも音楽と、身体を動かすこと
日本とアメリカで、華やかな表舞台とその裏にある厳しさや孤独もたくさん味わって
夢を追い続けることの苦しさに、心が折れそうになったことも何度も何度もあります
そして、どんなときも変わらず私を見守り、応援してくれていたのが父でした
UNITYファミリーの中には、イベントのたびに見かけた方もいるかもしれません
発表会やユニフェスなど、イベントには毎回のように顔を出し、楽しんでくれていた
そんな父でした。。
▽ 心の声を形にする
〜ダンスはこころの栄養〜
MAYAにとってダンスとは
「心を動かすもの」
身体を動かすことで、心がふっと軽くなったり、ときには、自分の気持ちと静かに向き合えたり。
何も考えずに踊る時間が、心のモヤモヤをほどいてくれたり
うまく言葉にできない気持ちも、動きで伝えられたり
「心の声をカタチにするもの」
なんだと思ってる。
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心で踊るということ──お父さんとの最後の時間が教えてくれたこと
父が他界したときのこと
母も他界しているため、喪主は私と姉が初めて仕切ることに
ふかい悲しみの中、心と身体が辛い時期だったけど、そんな中でも父の存在を強く感じました
▽ 父との関係と、心の葛藤
多くの人が、家族との関係に葛藤を抱えているのではないでしょうか。
私、MAYAもそのひとり
父との別れは、“あたたかいお別れ”とは違っていました
正直に言うと、亡くなる前の私たちは、決してうまくいっていたとは言えない・・
私が20歳の頃、ダンサーとして多忙な毎日を送っていた時、父は心のバランスを大きく崩し、入院していた時期がありました
それから時を経て、父の心の病が再び姿を現した
きっかけは、母を見送ったことだったのだと思う
そしてその時、20年前に父が患った心の病の壮絶な体験が、自分の中で鮮明に蘇ってきた
20年前、母は父のそばで支え続けて、今回は、私たち娘がその役目を担うことに
とくに同居していた私には、その重さがあまりにも大きく、心が限界に近づいていたのだと思う
そしてある日、私は父をひとり残して家を出た
自分を守るためでもあった 。それでも、壮大な罪悪感を背負いながらの決断だった
それでも近くに家を借りて一定の距離をとったことで、気持ちが少しずつ落ち着いてきて、また父のサポートも少しずつできるようになっていって、父の状態も、回復に向かっているように見えた矢先――
突然の心臓発作で、父は旅立った
あのときのまま別れることになったのは、わたしが想定する最悪の事態で、やはり今でもとても辛くて、心の中で整理がついているとは、正直言えない
でも、あのときの私にできた、精一杯の選択だったともう
この出来事をきっかけに、私の中にあった痛みや葛藤と向き合う時間が、さらに大きくなった
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▽ 弔いの即興ダンス
MAYAのお父さんは、心の病をきっかけに在家で出家した浄土宗のお坊さんでした
彼が属していたお寺で、父の仲間たちと共に見送った、あたたかく静かな葬儀
どうしてもお父さんに「ありがとう」を伝えたくて、どんな形で想いを表現できるだろうかとモヤモヤしていた中
ふと、
私にとっても、そしてきっと父にとっても、
「ダンス」こそが、一番まっすぐに想いを届けられるんじゃないか?
私は弔いの意味を込めて、踊ることを選んだ
父への感謝を、身体全体で、音にのせて届けたくて
何も決めず、その場その瞬間に湧き上がるものをそのまま表現したかった..
だから、振り付けはなく、曲だけを決めて即興で踊ることに
選んだのは、父が好きだった「月」にまつわる曲
🎧 Nina Simone - Everyone's Gone to the Moon
心のままに踊った。
父を想いながら、ただただ無心で音だけが聞こえてた
気がついたら泣きながら踊ってた
そして記憶にあるのは、わたしの踊りを見ている人たちの表情だけ
あれだけ無心になって踊ったことは、40年間踊ってきた中で初めての感覚
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踊った後に気づいた
これはお父さんへのためだけじゃなくて、私自身のためでもあった
『心の奥にあった感情が、そのまま体を通して表現されていく』
動きを考えているんじゃなくて、心の中にあるものがス〜っと形になっていくふしぎな感覚
踊りながら、私は自分の気持ちを整理して受け止めようとしていたのかもしれない...
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踊り終えたとき、お父さんの大切な友人が私にこう言ってくれました
「魂の踊りだった」
その言葉がとても嬉しくて、今でも深く心に残ってます
きっと、私の心の声が、そのまま踊りになっていたんだと思います
ことばでは言い表せない想い
うまく説明できない痛みや葛藤
それでも、身体が動くとき、そこに現れていた
踊りは、私の心そのものだったんだと、今なら思います
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お父さんが最後に教えてくれたこと
「心を表現すること」
どんなに技術が高くても、心がこもっていなければ、ただの動きになってしまう。
でも、自分の気持ちを踊りに込めることができれば、それは人の心に届く「魂の踊り」になる。
▽ Dancing with the Soul
ダンスは、体ひとつで表現できる、唯一無二のアート
あの日、私は父への想いを
ひとつひとつ、身体に込めて踊りました
悲しみも、感謝も、あふれてくる気持ちも、
すべて音にゆだねて流していく
踊り終えたとき、胸にあたたかさが残っていて
「ああ、ちゃんと届いたかもしれない」
って思えたんです
特別な道具も、飾りもいらない
あるのは、身体とその瞬間に感じていることだけ
だからこそ、どんな言葉よりもまっすぐに、
「ありがとう」や「さようなら」さえも、音にのせて届けられたんじゃないか
頭でどうにも整理できなかったことも、踊っていると少しずつ心が動いて、
お父さんとつながってるような感覚になれた
答えはまだないけど、私にとっての癒しはやっぱり“踊ること”だった
まだまだ心は変わっていくと思うけど、
今は、そんな感じです。
▽ ダンスは、技術ではなく “心の声”
そしてあの日から、
私の中で「踊ること」の意味が、おおきく変わった
だから、SHOW & TELLの時に私がある生徒に「踊る理由は?」と聞いた時、
『踊るとすっきりするから』って答えたのを聞いて
言葉じゃうまく整理できない気持ちも、踊ると少し軽くなる。その感覚を、あの子も感じてるんだと思ったら、すっごく嬉しかった!
心の声を表現するダンスを
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「ダンスはスポーツじゃない」
ただの動きじゃなく、その一つひとつに込められた“想い”や“エネルギー”が何より大切
形だけにとらわれたり、見た目や技術に執着するんじゃなくて、自分の心の声に耳を澄ませて、それを動きで伝えてほしい
それを観る人が感じ取って、心を動かされて、想いが共鳴する――。
そこで初めて、「ダンス」がただの振付じゃなく、“生きた表現”として成立するのだと思います。
特に最近は、ダンスが広く注目されるようになったことで、派手さやかっこよさに目が向きやすくなっているように感じます
もちろん、それもダンスの魅力のひとつ。だけどそれだけに偏ってしまうと、大切な何かが置き去りになってしまう気がする
ダンスクラス昇進テストや競い合いを通じて成長していくスタイルにも、学びのひとつの形として、確かに良い面はあると思います
(個人的にはそのやり方に共感はしていませんが)
ただ、ダンスがまるでスポーツのように成果や順位ばかりに焦点が当たるようになると、
本来の「表現することの喜び」や「自分と向き合う時間」が薄れてしまうようで、少し違和感を感じているんです。
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UNITYが大切にしているのは、ダンスを通じて自分の気持ちを表現すること
どんなにテクニックが上手くても、心がこもっていなければ、そこには何も伝わらない。
だけど、自分の気持ちを踊りに込めたとき、そのダンスはきっと誰かの心に届く、感動を与えるものになると思います
技術やスキルも大切ですが、自分の気持ちを素直に表現できることこそが、ダンスを本当に生きたものにするのだと思います。
UNITYが「オリジナリティ」を大切にしているのは、誰かと比べて評価されるのではなく、一人ひとりが自分らしい表現を見つけていくプロセスにこそ、本当の成長があると信じているからです
ダンスは、心の栄養。
踊ることで私は何度も前に進むことができた。そんな力が、みんなの中にも芽生えてくれたらうれしい!!!
まだまだ旅は途中ですが、これからも ダンスを通して、みんなと一緒に心に向き合いながら、学んでいけたらと思います☆
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最後までお付き合いいただき、ありがとうございます!
ユニフェスでエクリプスと楽しそうに踊っているおとうさん
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